ちゃんとしてるから、ちゃんとなる
最近、少しずつだけれども、人生をやり過ごすという感覚が薄れてきている。
これは良いことだ。
仕事で、大きめのミスをしていろんな所へ謝って、それでも皆変わらず私と話をしてくれたり、関わったりしてくている。
それは仕事だから、当たり前のことかもしれない。でも安心した。
先輩に「信頼されているからこの仕事任されているんだよ。ミスが多いともう任せてもらえなくなるよ」と御叱りを受けて、はっとした。
そうか、私は信頼されていたんだ。私がしっかりとやることをこなすことが、ここにいていい理由になるんだ。私がちゃんとすることがそのまま結果につながってちゃんとなることってあるんだ。と妙に納得した。
私は皆と比べるとやけに出来ないことがあったりして、出来が悪いと自分のことを思ている。それはいままでもこれからもそうだと思う。
でも、私はまだましに生き行けているのは私がちゃんとするべきことをちゃんとしてきたからだって思った。
私がしてきたことは私の中の私が頑張ってやってきたんだって、
私は私が頑張ったって言えること人生で本当に少ないけど、もうちょっと頑張ったんだって自分を認めてもいいのかもしれない。
好きだということ
好きな人に会って、好きだと言えない。
何が好きなのと聞かれて、何も出てこない。
私は自分自身全部にわかで偽物のような気がしてならない。
外から言葉を投げかけられると思考回路が切り替わって、外面の私になってしまう。
伝えたいこと沢山あったはずなのに。上手くいかない。
無理に話そうとしても外面の私が一生懸命腕を振って走り出すだけなので、私とはかけ離れた何かを延々と垂れ流し始める。
せめて、ブログでは文章ではそれをしたくない。
でも今も、この瞬間も、上手く出来ない。
こだわりの強さからなのか、醜いプライドからなのか、私は繕って生きている。
練習が必要みたい。
いつかの下書き① 多分旅先、
東京は人が沢山いるけど、歩きやすい。
旅行先でそう思う。
人が沢山いる観光地。皆何かを見てて、見たくて、探してて止まっては進んで走って歩いてを繰り返してる。
マナーを注意する店員さんがいて、あまりゆうことを聞かないお客さんがいて、その環境が怖い。
他人なのに、関りは直接なくても、息がしづらい、やめてほしい。
生きてて何かになるって思って生きている。
ブログを書いて、生きている。字を書くことは素敵で、日記は家にあってここからは遠くて届かない。文字を打てばそれは既にネットで、世界へ送り出せるようにラッピングしなければならない。生まれてくる赤子にすぐハイヒールを履かせるようなものだ。こんなのは、苦しくて、苦しくて
決めつけてくる物事、感情が負じゃなくても、音が空気中を蔦ってくる途中で、黒を纏う。
落ち込むことがないでしょ、と言われてときの気持ちが地面にシミを作りそう。
人を責めたくないから、良い人の振りをする。外面だけでいきている私は褒められても分離するだけ、表面の皮だけ分厚くなって、太陽の光はどんどん入らない。体内は腐っていくのだ。
今日はこんな気分でした。一言でいえば、やんでいます。とても、とても、幸せで、贅沢な旅先で、ああとても駄目なひとです。
やることをやらずに17時になった日曜日
最近、大学生の終わりが見えて来て周りの人から、自由に好きなことを出来るのは今のうち、というような言葉をもらう。
大人は忙しいというのは本当だろうか。
大人にならないと分からないな。
小学生のころ近所で仲良くしてくれていたお姉さんは、中学生になると大変だよと言っていた。私が中学生になると実際、中学校はそうでもなくて、その時お姉さんは高校生で高校はしんどいよと言っていた。でも私が高校生になってみるとそのお姉さんが言うほどしんどくなかった。私は幼稚園生の時が一番しんどかった。
お姉さんはいつのまにか見かけなくなり、いまは何処にいるのか分からない。年を重ねるごとに段々表情が暗くなっていたのが印象的だった。元気にいているだろうか。
良いことと悪いことは繋がってないと思う。
悪いことが起きたらその次にいいことがあるとは限らないし、良いことが続いたらその後にとても悪いことが起きるとも限らない。
日々は繋がっているけれど、物事は繋がってないと思う。
だから、その点と点を、遠くから見て綺麗な形に好きなように繋げて自己満足すればいいと思う。
そんなことを考えながら、好きなことをしてやるべきことから目を背けている日曜日です。
休日の最後に訪れた腹痛
顔にできものが出来た。
右頬の下らへんに何か出来た。ニキビ出来たかもって母に言ったら、それは多分違うと言われて、残念な気持ちになった。
私はニキビが嬉しかったらしい。ニキビが出来た方が良かったらしい。
友達と遊んで家に帰ってきて、まだ9時台だったので何をしようかなあなんて考えて、YouTubeで好きな配信者さんの切り抜きを見たりした。
時計を見たら、11時でさすがに歯を磨かなきゃと思い席を立つと、腹部に痛みが生じた。ちょっと油もの食べちゃったのが今になって聞いてきたのかなと呟きながら和室に横になる。
すると母が、まだ体が寝たくないって言ってるんじゃない?と言った。あーーー確かにあり得るな。なので、まだ寝ないよーー、まだ遊ぶよーーと口に出してみた。するとするすると糸が抜けるように痛みは引いていった。
そっか、まだ寝たくなかったんだねーーー自分の身体を子供のように扱う。私は永遠に一部が三歳のままな気がした。
今日は一日遊んだけれど、まだ遊び足りなかったらしい。
自分で自分を理解して度に、分離していく感じがして怖くなる。客観的な私は主観の私の手をいつまで握っていてくれるのだろうか。
ブログを始める
小学生の頃にブログをやっていて、約10年たってまた始める。
当時はアメーバブログをやっていた。
忘れていたが、はてなも少しやっていたようで、はてなにグーグルでログインしたら、2010年の記事がまだ残っていて、少しゾッとした。
アメーバの方は黒歴史すぎて消した。アメーバが全てだとおもっていたらまだ残っていた。怖い
いろんなところで何にもならない文章を書いては消してを繰り返してきた。
誰かに見られていると思うと書けなくなるけれど、白いノートにひたすら書いて自室の積読本の間に挟むのも寂しいきがして、ここにたどり着く。
ここに書いたこともすぐに消すかもしれないけれど、独り言を残しておきたい。また、これも黒歴史になってくのかもしれないけれど。
ここ数日、メンタルの調子がおかしい。
急に悲しくなるし寂しくなる。泣きたい気持ちなのに泣けない。つらい。
大森さんの曲をイヤホンからランダムに流してなんとか息をしている。
出先で急に吐き気を感じるし、上手く世界を見れない。
誰かに何か聞いてほしいきがするけど、コメントは欲しくない。嘘です。コメントは欲しいです。それに上手く反応出来ないから欲しくないとか言っちゃうだです。色々言われて、ありがとうございます。とか謎のひと言しか出てこないのです。
感情の話が出来る人がすき。しにたいという言葉を頭に浮かべながら、私は絶対にしなないし。親が生きているうちはしなないし。なんだかんだでしぶとい私を知らない誰かに何も言われたくない。私を認識して出た言葉に気持ち悪さを感じる。違う方向をみながら横に並んで発した言葉がたまたま当たって、少し刺さって、でもその傷口からおばあちゃんが出してくれるお茶みたいな安心感を感じていたい。他人との距離はそれがいい。同じ方向を見てれば劣等感と嫉妬心が暴れ出す。それは全部わたしのせいなんだけどね、関わってくれる人は何も悪くないよ。皆すきだよ。誰かに向けた言葉なんて一つとしてないよ。全部自分にむけて吐いているんだ。吐き出したものを眺めて、ぐちゃぐちゃだな、なんなんだこれって思えるまでどろどろになりたいな。安心できるようになるまで。脳内の電光掲示板に流れてくる文字をただ書きだす。
自分が書いた文なのに、暫くたってから読むと他人事みたいで楽しいから垂れ流しでかくよ。言葉を。
最近、思ったことは、私は外に意識が向いている人が好きだということ。電車に乗りながらそう思った。その人の意識が見えるときが一番好き。
気遣いが見えたときに萌える。
人間がすきだなあって思える瞬間。